大阪和サンガ4期継続コースに参加してきました。

去る23日(日)2ヶ月ぶりに伊東Dr.大阪和サンガ4期継続コースに参加してきました。



その時の伊東Dr.の話が、最近2回くらいのブログに書いた話題(「本質に気付いた上で現れの世界を楽しむ」)に通じる内容であったので、少しばかり紹介します。



「みんな心を働かせて幸せになろうとしているのに、その心が休止(息)した状態になることが真の幸せであるという逆説が実は真実である。



雲(現れ)の幸せ感は、興奮して舞い上がる幸せ感なのだが、舞い上がったものは必ず落ちる。



現代人は雲(現れ)の幸せ感に中毒しているけれど、真の幸せ感は腹に静まる凪(なぎ)のような幸せ感。



ここで止まると舞い上がる系の現代生活を捨てて出家のような生活を求めることになって、ジャッジメントにつかまったり禅病に陥ったりすることになる。



そうならないために大事なことは、



1、まずは凪の幸せ(本質)にしっかり気付く。



2、その後雲(現れ)を楽しむ。



この1、2の順番を変えてはいけない。



心の休止状態(本質)は全員にあるので、1に立ち返りさえすれば何をやっても、どんな思考がやってきてもOK。



大事なことはただ一つ、1・2の順番を間違えないこと。



順番を間違えると、私(真の私)とは何かが全くわからなくなる。」




まずは全ての現れの本質に気付いた上で現れ(雲)を楽しむことによって、世界は幸せに満ちたものに変化していきます。



私とあなたには何の差もありません。



大富豪とホームレスにも差はありません。



覚醒者とその弟子にも何の差もありません。



そう感じられるようになると、この世が今までと違ってとても新鮮でワクワクしたものになってきます。



現れの一つ一つがキラキラ輝いているように感じられます。



実は、和サンガ当日の帰りの電車の中で前のシートに並んで座っている人たちの履いている靴が実に様々の色や形に満ちているのを見て、長い(?)人生の中で初めて靴に感動してしまいました。




その後も台所で棚の上にある蜂蜜を取ろうとして、しまったまま忘れていた小麦粉が落ちてきて袋が破れ頭から小麦粉をかぶってしまいすっかり段取りが狂ってしまってもただただ笑えるだけです。



雑巾を絞っていて床に水をこぼしてしまい、夫にぐちぐち嫌味を言われても、何故かそのように現れてくれている夫と名付けた現れに、よくぞ現れてくれたと感謝するばかりの日々です。



どんな現れもただただ現れているだけにすぎず、どの現れがよくてどの現れが悪いとか立派だとか貧弱だとか最高とか最低とかはなく、それらはただの言葉にすぎず、言葉の前の現れは「ただある」だけなのです。



ただあるものが見えたり、聞こえたり、思考として浮かんだりしているだけで、それらに差はないのです。



そのただあるものに桜とか紅葉とか犬とか熊とか電車とか言葉で名前をつけているだけであって、それらの本質はただあるということで区別(差)はないのです。



区別や差のないものが、あたかも差があるように様々の形や色・音や言葉を見せて現れてくれていることにただただ感謝せずにはいられません。



「様々に美しい現れよ」と思わずにはいられません。