非二元を腑に落とすと何が変わるのか?

私たちの本質である非二元(青空意識)が腑に落ちることで、それまでと何が変わってくるのか?



私たちが生きているこの世(二極の世界)で起こることは、二極で考えるといいことも悪いことも起こり、何も変わりはしない。



けれど本質が腑に落ちていると、今起こっていることはただ起こっているだけでいい悪いを判断する個人の私というのは、思考の上で「私」と思っているだけで本当はそんな人はいないと気付くことができるので、それを私が経験しているのではなく、ただそのことが起こっているだけだと見抜くことができるため、深刻なできごとが深刻でなくなる。



つまり人生が深刻でなくなるのである。



深刻な人生からお気楽な人生へと人生の捉え方が変わってくるのである。



以前も書いたが、どんな悲惨な出来事であっても、それを悲惨だと判断する主体である私がいないので、ただそれが起こっているだけなのだと捉えることができるようになる。



そのように捉えることができるようになったからといって、それはすごいことでも何でもない。



それもただ起こっているだけである。



この世の全てはただ起こっているだけなので、どれが善くてどれが悪いということもどれが優れていてどれが劣っているということもない。



全てに差はない。



「悟り」という言葉は「差を取ること」というような意味とも捉えられる。



現れとしては全て違っていて大いに差があるように見えるが、本質的には何の差もなく一つであると捉えることができるようになるので、この世で起こることに差をつけてジャッジすることがなくなるのである。



この世の全てを差をつけずに受け入れることができるようになるので、現れとしてのその人は、人々からこの上なくおおらかで温かく優しい人に思われるだろう。