今こここのの瞬間しかない。

本当のところ、常に「今ここ」しか存在していない。



「今ここ」とは、「私」と思い込んでいる者がただ今この瞬間存在している空間のことで、その瞬間見えたり聞こえたり触れたりしている物がある空間のことである。



それ以外の物は何もない。



地球とか宇宙とか日本とか北極とかetcは全て名前(言葉)しかない。



駅のベンチに座っていたら、そこで見えたり聞こえたりする範囲の物しかない。



右を向いたら左はない。



左を向いたら右はない。



「家に帰ってカレーを作ろう」と考えても、そこにはカレーも家もない。



時計を見て、「会社を出てから1時間経ったなあ」と考えても会社もなければ1時間もない。



常に今こここの瞬間しかない。



三次元的には連続した時間の流れがあるようにとらえているのだが、それはイメージの(思考)上だけのことであって、本当は今こここの瞬間しかない。



時間も空間もないというのはこういうことである。



あるのは、毎瞬毎瞬変化している現れだけであるが、それは現れては消え消えては現れての繰り返しに過ぎないので、決して連続してはいない。



「私」だと思い込んでいる現れも含めて、連続している現れは何もない。



あるのは、ただ現れが言葉になる前の静寂だけである。



それは言葉では表現できないけれど、目に映ったそのまま・耳に聞こえたそのまま・手で触ったそのままとしてただある。



あるがままただある。



言葉になる前の静寂としてただある。



それこそが「今ここ」と表現されている「ただある」存在である。



それは全ての生きとし生ける存在に共通にただある。



全ての人に共通にそれはある。



本当はそれしかない。



それこそが連続して永遠にただある存在である。



このことを体感するには、今ここにないことを言葉で表現(思考)していることに気付いて、気付いたらその思考をストップする実践をしてみることをお勧めします!!