2016-01-01から1年間の記事一覧

再び気づくということの大切さー過去のトラウマ対処として

過去の出来事や思い出したくない記憶に反応して落ち込んだり、自分を責めたり、鬱状態になったりすることはよくある。 ひどい時は、それが原因で自殺したりすることもある。 いわゆるトラウマと言うのはこういう状態のことであろう。 普通に考えると、最初に…

全てを受け入れている

現れの世界では、毎日毎日様々なことが起こっている。 戦争・虐待・殺人のような悲惨な出来事もあれば、とても素敵な賞をもらったり別れ別れだった家族が20年ぶりに再会したりetc…。 いい情報もあればよくない情報もある。 思考できる限りの出来事は何でも起…

気づきのパワー

これまで何回となく気づくことの大切さについて書きました。 非二元(青空意識・真の私・調和のエネルギー)を感じたいなら、まず自分の思考を含めて今起こっていることや観ているものに気づくことです。 今の自分に気づくことができると、びっしり詰まって…

時間の中の私と瞬間の私

電車に乗り遅れそうだったので走ったら、石につまずいて転んで怪我をしただけでなく、会社に遅刻して上司から大目玉をくらった。 ちょっと落ち込んでいたけど、友人たちと一緒にフランス料理を食べながらお喋りをしたら、気分がよくなって元気になった。 と…

ちょっと面白い話

先日(9月3日)娘が高木正勝(音楽家・映像作家・「おおかみ子供の雨と雪」等の映画音楽やCM音楽を手掛けるアーティスト)さんのコンサート(京都)に行った感想をシェアしてくれた時、高木さんのコンサート中のお話の中でとても興味深い話があったので…

和をもって尊しとす

8月27日〜29日伊東充隆ドクターの「八ヶ岳リトリート」に参加してきました。 台風の影響もさほどなく、お天気もまあまあで野菜や果物が超美味しくてとても深いリトリートでした。 リトリート中に私が質問した内容をほんの一部ですが、お伝えしたいと思います…

今はいつも平和です。

今起こっていること以外は何もない。 一人で原っぱに寝転んで空を見ていたら空しかない。 地球もなければ宇宙もない。 恋人もなければ家もない。 職場もなければ嫌な上司もいない。 自分には仕事も家も恋人もあると思っているのはただの空想(思考)にすぎず…

何もかもが自然に起きているだけで私(個人)は何もしていない

心臓を動かそうと思わなくても心臓は自然に動いている。 食べ物を消化しようと思わなくても胃は自然に食べ物を消化している。 呼吸をしようと思わなくても自然に呼吸している。 トイレ行こうと思わなくてもほっておいても尿(便)意をもよおす。 夜眠ろうと…

本当の私は生まれたこともなければ死ぬこともない。

前回のブログで述べたように、個人の私は非二元が見ている夢の一部にすぎない。 夢の中ではどんなことでも起こり得る。 夢の中の個人は生まれたり死んだりする。 けれど、夢を見ている主体である真我は始まりもなければ終わりもない。 個人の私は自分が生ま…

二元(現象界)は非二元(青空意識・真我)が見ている夢

私たちが生きている(と錯覚している)この二元の世界(現象界)には実に様々なことが起きている。 清濁含めてありとあらゆる出来事が次から次へと起きている。 戦争もあれば、平和もある。 身の毛もよだつような殺人や虐待もあれば美しく愛あふれるエピソー…

気づきにとどまり気づきの意識を感じよう!!

自分が今何を考えてどのような言動をしようとしているかに気づくことはすごくすごく大事なことです。 以前にも述べましたが、3次元の自分の思考・言動に気づいている存在は4次元以上の存在だから、3次元の自分とは違う存在なのです。 形も何もなくただ気…

余裕をもって人生(ストーリー)を楽しもう

ある日のことでした。 几帳面な夫(思考が作った夫像)が私に、 「あんたはいつも…だからちゃんと注意して〜すべきだ。」 と言ったのです。 このように言われると、すぐさまその刺激に反応してそういう言葉に反発する思考が湧いてきて「そんなこと言ってもあ…

問題は思考癖(パターン)から作られている。

思考は常に、絶え間なく起こっている。 それはまるで川が流れるように、次から次へと絶え間なくやって来ては去って行く。(「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」) 思考の99%はあまりにも自然に起こっては消えていく(本当は起こることと…

私たちの本質は愛そのもの

私たちの命の本質は常に静かです。 常に平和です。 常に幸せです。 表面的には争いや悩み等々に心を引きずられるような時でも、本質は何一つ起こっておらず静かなので、本当は嫌なことは何一つ起こっていません。 例えば医者にがんだと言われて落ち込んだと…

人生は思考さんの働きでできている。

この世(三次元の世界)において、全ては常に変化している。(諸行無常) 例えば鶯が「ホーホケキョ」と鳴く声を聞いて、 私は鶯が「ホーホケキョ」と鳴くの声を聞いていると思っている。 私と鶯を分離させて私を主体にして、「私が鶯がホーホケキョと鳴くの…

誰が気づくのか?

私たちが自分の心身の動きや思考に気づいている時、 ほとんどの人が、他と分離した個人の私が気づいていると思っている。 果たしてそうなのだろうか? 分離した個人の私は自分の目の前の対象物を見たり気づいたりすることはできる。 しかし、自分で自分を見…

自動反応+思考の後付け=ストーリー(作り話)

私たちが個人の私が感じていると思っている心身の感情や動きは、単なる自動的な反応にすぎない。 例えばAという刺激に対してはA'という反応をしA"という行動をするというパターンのようなものがあって、喜怒哀楽というような感情もそれに続く行動も全て決ま…

思考は真実が嫌い

思考は常に今を受け入れようとしない。 「こんなはずがない」「これとは違う」 と今を否定し、今と違うところに真実を求めようと動き始める。 真実は今にしかなく、すでに真実であり、真実以外は何もないにもかかわらず、常に真実から目をそらそうとしている…

思考が時間を作っている

ある朝目覚めの前の朦朧とした意識の状態の時、まず最初に… 「今日は何月何日?」 「今日は何か予定があったっけ?」 という思考が働いた。 そう…朝の目覚めの時、まず最初に働くのは思考…。 思考が最初に時間を確認して時間を作り、私たちは時間のある世界…

これがそうだよ!!

私たちが求めているもの…。 探求しているもの…。 それはもうすでにここにある。 腹が立っているなら…それがそうだし。 笑っているなら…それがそう。 どんなに受け入れがたい嫌なことでも…それがそう。 それがあるということは…もうすでに受け入れている。 非…

時空の隙間に落ちたなら

本当に 本当に 今ここ 目の前のことしかない。 後ろはない。 右もない。 左もない。 過去もなければ未来もない。 右を見たら、それが今ここ 目の前になり、 左を見たら、それが今ここ 目の前になるだけ。 今ここ以外には何もない。 神戸に住んでいる私には、…

「不安」と「安心」の本質は同じ

友人が「ずっと不安やねん」と言ったので、 「寝ている時も不安なん?」と尋ねたら、 「いや、寝ている時はそうじゃない」と答えた。 「じゃあ起きている時は、ずっとずっと不安なん?」と尋ねた。 すると友人は、「いや不安になる対象にフォーカスしている…

言葉も理解も越えている

ある日、横断歩道で信号待ちをしていたら、 背中にふわりと風がふいたような感じがした。 振り向こうとすると、中学生くらいの男の子が乗った自転車が猛スピードで走っていくのが見えた。 「あの自転車が後ろを駆け抜けていったんだ」と考えるやいなや、 い…

幽霊…?

私たちはみんな幽霊みたいな存在…? あるとないが同時だということは あるが半分 ないが半分 半分が消えているようなもの… 半分消えているから不安定(昔から幽霊には下半身がない) そのことを大和田菜穂さんは「起こっていて 起こっていない」と言い 井上…

降参するしかない

何もないところから星や花が生まれてくる ありとあらゆる美しいものや醜いものが生まれてくる 生まれたと同時に消えていく 同時だから時間はない いつもいつも今ここしかない ありとあらゆるものが存在する世界と何もない世界は同時 有限と無限は同時 どれだ…

もやもやに言葉を与える

最近ちょっと面白い体験をした。 私は大雑把な性格なので家事などはいつも適当にパッパッとやってしまうせいか、しょっちゅう夫に文句を言われる。 しょっちゅう言われるので慣れているはずなのだが、毎回むかついてついつい言い返してしまう。 ところが、あ…

あるがままの「私」

私たちが「私」だと思っているものは、実に不確かで不安定なものである。 だからこそ、私たちは確かな私を求めて次から次へと様々なことをして自分を確かめずにはいられない。 自分探しにどこかへ出かけずにはいられない。 そこには、「私」とは確実な存在で…

夜空に輝く星のごとく

先日久しぶりに夜空を見上げたら、たくさんの星たちが輝いていた。 しばらくじっと見上げていて、あることに気づいた。 あの星たちが輝いて見えるのは暗い空があるからだ。 夜空がなければ星は見えない(存在しない)。 星がなければ夜空の存在に気づかない…

全てが今ここにある。

私たちのほとんどが、「こういう恋人と巡り会えたら幸せになれるのに…」とか「もっとお金があったら…」とか「戦争がなくなれば平和が訪れるのに…」とかしょっちゅう思っている。 様々な条件をつけて今ここにない幸せや平和を求めている。 けれどその幸せや平…

何があっても安心して生きていくことができる。

先日TVドラマを見ていたら、登場人物が「30年間も連れ添っていたけれど、私と夫の関係は表面的なものに過ぎなかった。」と語る場面があった。 このようなセリフは日常生活でもよく口にする。 実はこれは気づきであり、この気づきは自己の本質への入り口であ…