次から次へと湧いてくる思考に意識的になる。

現れの世界の全ては思考でできているのではないかと思うくらい(たぶんそうなのだ)、朝起きてから夜眠るまで次から次へと思考は湧いてくる。 無意識だとそれが当たり前になっているのでそんなことに気付きもしないのだが、思考に対して意識的になって思考を…

現れにリアリティを求めるか、何もない「ある」にリアリティを感じるか…?

私たちが現れにリアリティを感じて日常生活をおくっているのは、現れに心を奪われているからです。 現れに心を奪われて、ここがこうなったらいいのに…とか、こういう未来のためにこのように努力しようとか、あの時ああだったからこうなったのでここをこう直…

大いなるマジシャン

そんなことを考える気もないのに勝手に現れてくる思考を観察していて、あることに気付きました。 思考はすき間から突然現れてくるということです。 温泉に入っている時、ポコッポコッと源泉から泡が出てくるようにすき間からポコッポコッと思考は現れてくる…

毎瞬毎瞬の静寂にリラックスして何もしない。

「ある」(真我・全体性等々)を発見するために何をすればいいのか? 私たちが現れに依存しているというのは、私たちが何かを見つけるためには何かをしなければならないという思い込みにとらわれている点に象徴的に現れています。 答えは実は「何もしなくて…

永遠の平和や安心そして至福を感じる唯一の道とは…?

私たちはあまりにも「現れ」に依存し過ぎています。 「現れ」は刻一刻と変化し続けているのに、無常であるのに、私たちはその無常の現れに永遠の平和や安心そして至福を求めているのです。 無常に永遠は存在しません。 誰でもわかる理屈であるにもかかわらず…

私(個人)がいるのではなく「ある」(全体性・真我)がいる。

最近また面白い体験があったのでシェアしようと思います。 家族の一人からあることについてダメ出しをされました。 それに対して反応が起きる一瞬前に、何かが「A−ごめんなさいと言ってそれを受け入れる道」と「B−それはいいがかりだと言い返す道」の二通…

井上哲玄老師(曹洞宗禅の老師)の話は非二元の話と同じです。

昨年1月に有馬温泉で1泊のお話会に浜松から来てくださった、曹洞宗の老師である、井上哲玄老師の話を久しぶりYouTubeで聞いた。 禅は私がブログに書いている非二元・青空意識・命の本質と全く同じで、自分の思考・想念・感情を交えずに直接物の本質に触れる…

生きているとは「ある」(全体性)が私(個人)を見ているということ。

私(個人)が生きているということは、「ある」(真の私・全体性)が私を見ているということなのです。 私(個人)はいつでも「ある」(真の私)に見つめられ愛されている。 私(個人)は生きている主体ではなく、「ある」(真の私)によって生かされている…

「本当は何も起こっちゃいないのさ」体験を大阪和サンガでシェアしました。

今日は大阪和サンガで前々回ブログに書いた「本当は何も起こっちゃいないのさ」の体験(「ある」のオンタイム体験)をシェアした時の伊東Dr.のコメントをまとめてみました。 =まず「分離のカーテン」があると認めること、つまり自分に起こってくる喜怒哀楽…

「ある」が全てを見ている。

昨日は4ヶ月ぶりの「大阪和サンガ」に参加してきました。 たくさんの面白い話を聞いたので、少しずつ小出しにしてシェアします。 今日は前回のブログの最期に「気付きの意識だけがありました」と書いたので、そのことに関する話をシェアします。 この気付き…

本当は何も起こっちゃいないのさ(/・ω・)/

先日面白いことがありました。 誰だったかもう忘れてしまったのですが、たぶん夫か娘かのどちらかが私に何かを言った時、「イラッ」とした感情が起こりました。 このように表現すれば、「イラッ」の原因が夫か娘かの言葉というように伝わると思うのですが、…

何かをしている私(個人)はいない。

前回個人の私は何もしていないけれど、真の私(全体性)が全てをやっているというお話をしましたが、本当に個人の私は何もしていないのです。 あなたはあなたの心臓及び内臓を動かしていますか? あなたは呼吸を意識的に自分でしていますか? 排尿排便は自分…

チット(完全能力感・万能感)的体験

以前伊東Dr.のお話を紹介していた時、人間全員に存在する純粋意識の三つの属性サット(絶対的存在感)・チット(完全能力感・万能感)・アーナンダ(絶対的至福感)についての話をご紹介したことがあったのですが、最近チット的体験をしたのでシェアしたいと…

死ぬってどういうこと…?

先日道を歩いていると突然目の前に見えていることや聞こえていることだけの感覚だけの存在になり、自分の肉体が消えてしまったというか自分がいなくなったというか…一瞥的な体験が起こりました。 さらに続いて、「死ぬということは自分のものだと思いこんで…

現れを受け入れるとは現れと調和すること。

昨日ブログに書いた「目の前の全てを受け入れる」ということは思考で考えると難しい感じがするかもしれないけれど、実は簡単なことなのです。 自分の目の前の現れの全てを受け入れるということは、目の前の現れと調和するということなのです。 思考に走らず…

ハートを開くために日常生活でできること。

ハートを開くために日常生活でできることは、ハートを意識することと共に目の前に起こっている全てを受け入れることである。 全ては神の思召しだと思って受け入れるのである。 起こっている様々な出来事に抵抗感があるということは、緊張感があってハートが…

気付くことは夢から覚める(覚醒する)こと

気付くことによってすき間ができ、真我へアクセスできるということを最近ずっと書いてきましたが、 今の自分(現れ)に気付くということは、今見ている夢に気付き夢から覚めることでもあります。 覚醒というのは実は気付くことなのです。 本当は全ての人はも…

現れに向かうのではなくベクトルを真逆に向けてすき間(真我・非二元・青空意識)に向き合うのがベスト。

何か不都合なことが起こった時、私たちはその不都合な現れの不都合な面をなんとかしようと右往左往する。 あなたがもし非二元や青空意識に関心がありその道を探求しているのなら、まず「現れを不都合だと思っているのとそれをなんとかしようと思っているのは…

神はすき間に宿る。

とにかく何が起きても大丈夫で安心で愛と平和しかないのだが、それを感じたいならばとにかくすき間を空けることである。 目の前の出来事や自分や他人の思考などの現れから意識的に離れて距離をおくことである。 無意識に暮らしていると、それら現れとすき間…

ありとあらゆる表現でたった一つのことを表現している。

この世にはありとあらゆることが存在し、全ての人がてんでにバラバラのことを言っているように思えるけれど、 表面的にはそのように見えているけれど、 それらの源を辿って行けば、全て同じところ(場所ではない)へ行きつく。 何もないところへ行きつく。 だ…

すでに気付いていることそのものに気付くことによって自ずと非二元に帰還する。−伊東充隆Dr.の言葉

以前気づいていることに気づくことが大事だと書きましたが、その点について伊東充隆Dr.の説明がとてもわかりやすいので、シェアします。 = 思考は私のものではありません。私が生み出しているのではありません。だから、いちいち自分の中に湧いて来た思考に…

隙間・狭間・空間・空白等々で表現される何もないところを意識せよ!!

真我・全体性・神・大いなる者・純粋意識等々の名で呼ばれる存在は、ただあるだけで姿や形はありません。 「じゃあどうやってそれを感じればいいの?」という思考が湧いてくるはずです。 コツは気づくことだと何度も言っていますが、もう少しわかりやすいヒ…

孤独感は真我への入り口 ラマナ・マハルシの言葉その15

人は誰しも孤独なものである。 孤独を感じた時こそ真我に最も近い(距離はないので比喩です)ところにあって、真我を感じるチャンスである。 孤独だからといって、誰かに会いに行ったりあれこれと予定をうめたりしないほうがいい。 人が感じる孤独感というの…

誰もが永遠の真我に気づいている。 ラマナ・マハルシの言葉その14

昨日のブログに「隙間(空間)である真我に気づく実践が大事」みたいなことを書いたのだが、本当はどんな時も誰もが既に気づいている。 ただ個人の私という意識が強いので、気づいているという意識に乏しい。 だから、気づいていることに気づくということが…

私たちの本質(真我)は沈黙(静寂) ラマナ・マハルシの言葉その13

真我は言葉として現れる少し前の世界である。 思考として現れる少し前の世界と表現しても同じである。 だからそれはどこか遠いところにあるのではなく、対象として向かって行くところにあるのではなく、全ての人の内面(心ではない)にただある。 言葉(思考…

真の吾は唯足るを知っている。

「吾唯足るを知る」とは禅において自己の本質について語った言葉である。 自己の本質(真我)は常に満ち足りていて静かである。 しかし、私たちがが個人の「私」だと勘違いしている思考・想念・感情+身体は、常に足りないと思ってあれこれ行動して止まない…

「心」とは…? ラマナ・マハルシの言葉その12

昼食をうどんにしようということになって、私とパートナーの二人分のうどんを作った。 うどんを食べ終わったパートナーが、 「出汁は何でとったのか?」、、「味付けには何を使ったのか?」という質問をしてきた。 それらの質問に答えると、パートナーは「な…

真我は対象物ではない。−ラマナ・マハルシの言葉その11

真我に気づくことが大事だとはいうものの、それは真我に向かって努力することとは全く違う。 真我は対象として向かうところではなく、現れと現れに対する反応の隙間である。 現れという刺激に対して心がなんらかの反応をする時、何かがそのことに気づく。 何…

幸せのベクトルとは…?ーラマナ・マハルシの言葉 その10

私たちは全員漏れなく幸せになりたいと思っている。 そのために現れの世界を変えようとあれこれと努力をする。 努力するのは構わないのだが、 ベクトルの向きが真逆である。 ベクトルは、現れの世界ではなく現れの少し前の何もない静かな世界に向ける必要が…

穏やかで満ち足りた静寂(幸せ)に気づくには…?ーラマナ・マハルシの言葉その9

思考の仕事は今ここにある世界とは違う世界を創ることである。 そのために私たちはいつも今ここにしかない真我から気持ちが離れてしまう。 今ここにいるのに、 真我と共にいるのに、 真我と思考は同時にあるのに、 今ここにない世界ばかりを見て、 夢の中を…